空へのあこがれ~誕生から高校時代

防衛大学校4年生
防衛大学校4年生

 1968(昭和43)年418日、大牟田市三川町生まれ(現在43歳)。大蛇山まつりが大好きな小学生時代を過ごす。

  川尻小(現天領小)5年生の夏休みに叔母が住む千葉を訪れるため一人で福岡空港から羽田空港まではじめて飛行機に乗ってパイロットにあこがれる。航空大学校を目指し、右京中学校入学の頃から、視力の維持にも気をつけつつ勉学に励み、三池高校に進学。高校時代の一番の想い出は「高校生クイズ」。高校1年生の夏は○×クイズの第1問目でいきなり敗退。高校2年生の夏に再びチャレンジしたところ九州代表となる。わからなかった○×クイズもたくさんあったのに運良く正解するなど強運を発揮。目指していた航空大学校が、自分が受験する年から、大学2年間、または、短大卒業が受験資格に必要となった。家庭の経済的な状況などを考慮して自衛隊のパイロットに目標を変え、防衛大学校(神奈川県横須賀市)に入校。

戦闘機パイロット時代

国防の最前線で勤務
国防の最前線で勤務

 航空自衛隊への入隊、パイロット要員への選抜を叶え、約2年半の厳しい訓練を乗り越え、F-4戦闘機パイロットとして沖縄県那覇基地に約11年間勤務。この間、結婚し長女、次女を授かる。2002年末から約半年間、米国テキサス州にある米軍ランドルフ空軍基地に留学し「電磁波を用いた戦い」についてマルチナショナル・クラスで学ぶ。拳銃射撃では地方大会で2年連続個人優勝。また、グアム島における日米共同訓練にも参加。実任務としては、対領空侵犯処置任務で30回以上のスクランブル発進を経験し任務を完遂。常に危険と隣り合わせの勤務のなか、最終的には4機編隊長・教官操縦士となり合計2,000時間以上の飛行時間を無事故で終える。

現役パイロットを目指し異例の退職

ラストフライトの儀式
ラストフライトの儀式

 人事制度上、デスクワーク主体の勤務となることはわかっていました。いったんデスクワークの道を経験してみるため、競争率約13倍の選抜試験に合格し、組織後継者育成の学校で1年間、勉学に励む。卒業後、航空幕僚監部(東京都新宿区)にて担当事業の財務予算要求・執行、中長期計画などに携わる。残っていれば給与や地位が保証されていたにもかかわらず、また、組織後継者育成の学校卒業者が退職することは非常に異例であったけれども、退職を決断。退職にあたって、上司から叱咤激励を受けるなかで決断力は評価された。そして、退職し大牟田市に帰郷。

ふるさと大牟田へ帰郷し大蛇山おりがみを創作

創作初期の作品
創作初期の作品

  実家の自転車店は祖父が三井三池炭鉱が栄えている時にはじめた。当時は、炭鉱、港、炭鉱労働者の交通手段として自転車が使われていたため、自転車店の経営はうまくいっていた。父の代になって、自分の小さい頃でもお客様はそれなりに多かった。しかし、航空自衛隊を退職して、長らく留守にしていたふるさとに帰郷してみると、炭鉱がなくなって大牟田市の人口は最盛期20万人だったのが12万人に激減し、活気を失った街に驚愕した。実家の自転車店は閑古鳥が鳴いており非常にさびしく感じた。なんとかしたいと感じていた忘れもしない2007 年4月22日、娘が折っていた折鶴の途中のおりがみをみていたときに、突然インスピレーションが降りてきたのだ。おりがみに大蛇山(龍)の頭部が重なって見えたのである。約3カ月間その幻影を追いかけるように創作に没頭し、折鶴の途中から大蛇山の頭部を完成させるに至る。それまで折り紙などしていたわけではないのに、突然のインスピレーションから完成にまで導かれたことに自分でも驚く。

大蛇山おりがみで大牟田を活性化

ホノルルフェスティバル
ホノルルフェスティバル

故郷おおむたの活性化のため、大蛇山まつりをもりあげようと、大蛇山まつりの前に学校、公共施設、商店などに大蛇山おりがみを配布してまわる。大蛇山おりがみを受け取った人のキラキラ輝く笑顔をみて、大蛇山が大牟田を盛り上げること、大蛇山おりがみで大牟田を盛り上げることに貢献できるのではないかと感じる。  2009年3月、大蛇山まつりが出展するホノルル・フェスティバル(米国ハワイ州)に参加し、昼は大蛇山おりがみ教室、夜はパレードでつくっておいた大蛇山おりがみを沿道の観客にプレゼントし、大蛇山まつりをサポートした。世界中から来た観光客の感動を目の当たりにして、また、パレードのトリを大蛇山が務めていることから、大蛇山が世界に認められるまつりであることを実感。  2010年9月、大蛇山まつりが出展するウラヤスフェスティバル(千葉県浦安市)でもパレードで沿道の観客に大蛇山おりがみをプレゼントした。「よさこい」「ねぷた」などに比べて無名ではあるが、観客の大歓声に大蛇山の潜在力を感じた。ブログを通じて共感してくれた現地の方にお手伝いしていただいたことにより、大牟田の人だけでなく共感を持ってもらうことができると感じた。また、大牟田出身で関東にいらっしゃる皆さんの大蛇山と大蛇山おりがみをみて喜ぶ笑顔をみて、大蛇山が大牟田を離れて暮らす大牟田人の心の支えになると確信した。

ハッピードラゴンとしてハッピーの輪をひろげる

  大蛇山おりがみを受け取った人がハッピーになって、それをみた周囲もハッピーになって、それを知って自分もハッピーになって、そのことをブログで発信して遠く見知らぬ人もハッピーになって…というようにハッピーの輪がひろがることから、ハッピードラゴンと名前を変え、大牟田市以外にも大蛇山まつりと併せて紹介しはじめた。  これまでに約4,000のハッピードラゴンを世に生み出した。

ハッピーの輪をつなぐ自転車の旅

名古屋にゴール!
名古屋にゴール!

  2011年3月11日に発生した東日本大震災に衝撃を受け、その後の世の中をみていて、ハッピードラゴンで何かできないだろうかと考えた。そんなとき、Facebookでつながった名古屋市の丹羽氏から大共感を得て、名古屋市で被災地復興の祈りを込めてハッピードラゴンを折るイベントの実行を発案。予算やノウハウがないけれども、人生最後のチャンスと思い、誰からも見向きもされず時間と予算を浪費することになったとしても実行すると決意。「ハッピーの輪をつなぐ自転車の旅」として、被災地復興の祈りをハッピードラゴンに込めて折りながら、ハッピーの輪をつなぎながら、自転車で名古屋を目指し、名古屋で被災地復興の祈りのイベントを行なうというプロジェクトとなった。予算やノウハウもないプロジェクトだけれども、まず実行するという覚悟をもって行動したら、たくさんの方々からの応援を得て、素晴らしい出会いの連続、感動の連続、不思議なシンクロの連続となる旅をすることができた。改めて、この出会いは行動しなければ得られなかった出会い、つまり、行動が出会いを引き寄せたと実感。

今後の活動について

 ハッピードラゴンが大蛇山まつり、大牟田市を盛り上げることに少しでも貢献できればとの想いで活動を続けています。故郷・大牟田市に活気が戻り、実家の自転車店や各種商店にお客様が増え、企業も元気になることを心から願っています。